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2014-07-14

第11回 はたらくインタビュー【デザイナー 森田和美氏】


森田和美氏

はたらく課第11回目のインタビューは、デザイン・イラスト制作や企画のディレクションを手掛けながらも、web新聞「名駅経済新聞」の編集長・大ナゴヤ大学のコーディネーターといろんな顔を持つ森田和美さん。どんな理由からそのようなはたらき方をしているのか、話を聞いてみることにしました。

―幼少の頃はどんな子どもだったんですか?

絵を描くのが好きな子でした。4つ離れたお姉ちゃんやお母さんも描いていたので、自然に描くようになったんですけど、絵を描くために新聞広告の裏面をとっておいたりしていましたね。なんでも描いてました。女の子のイラストを描いたり、動物の住む家を描いたり。絵の中でお風呂に入って、ごはんを作って・・・って妄想しながらおままごとしたり。好きでよく描くようになって、賞をもらうこともありました。幼稚園のときにもらった賞が一番印象に残っている賞なのですけど、お芋掘りのシーンを描いたものが、とてもダイナミックだったみたいで、「世界児童画展 文部大臣全国団体奨励賞」という賞をもらいました。他にも、小学校であと一歩で金賞をとれたのに他の子に奪われてくやし涙を流したことなんかも思い出深いですね。頭の中にある世界を外に表現するのが好きみたいです。

幼稚園のころは、ばくぜんとケーキ屋さんになりたかったかな。小学校の文集には、服のデザイナーになりたいって書いていました。よく女の子の絵を描いていたけど、服も一緒に描いていたし、なんとなくその頃は、絵を描けたら服のデザインができると思っていたんですよね。

作品  絵具
 

―中学・高校の頃はどう過ごしていたんですか?

美術の時間が好きでしたね。けど、中学の頃は幼なじみの子に誘われて吹奏楽部に入りました。大会に出ても賞をとることのない、弱い学校だったんですけど、自分たちの世代のときに金賞をとれたのがいい思い出です。チームワークもめちゃくちゃいいし、みんなそれぞれ自主練もやっていて。金賞がとれたとき、先生もはじめての経験だと言ってくれて、みんなで泣いたのがいい思い出です。

その経験もあって、高校でも吹奏楽部に入って、副部長を経験しました。けど、やっぱり美術の時間が好きでしたね。音楽が、そんなに自分にはまらないことにも気づき始めて、部活の先生にも「音楽よりも美術やりたい」と言いました。思い起こすと、中学生のときは、生徒会に立候補する友達のためにポスターを描いたり、高校のときは、学祭のTシャツに歌舞伎の絵を描いたり、マーブリングをやったり、文化祭でお化け屋敷を作るときも絵の具を指につけて塗ったりしていたときが楽しかった。そのため、進路は絵を描くことが活かせる学校を選びました。美大を狙っている子もいたけど、なんとなく迷いもあって、短大に。絵の塾には通わず、学校の美術の先生にデッサンを習ったりして受験に望みました。

 

―短大ではどんなことを学んだんですか?

ビジュアルデザイン科だったので、「ビジュアルデザイン」と「絵」が違うものなんだなということに初めて気付きました。考えたら分かりそうなものなんですけどね(笑)。視覚デザインは目的があって作るもの、というのが最初に学んだことです。課題も多かったし、バイトで働いたり、通学時間も2時間と長かったので、あんまり遊んでる暇はなかったです。けど、芸祭がすごくおもしろくて、みんなで準備しながら学校に泊まったり、段ボールで寝たり、日々楽しかったです。先生も変わった先生や、フレンドリーな先生がいたり、仕事はじめてから「この人こんなすごい人だったんだ」って人が担任だったことを知ったり。その当時の友達は今でもつながっていたりして、「やっと居心地のいい場所が見つかった」と思いました。

 

―仕事はどうやって決めたんですか?

デザイン事務所をメインに探していた中で、求人誌で他の会社より大きめの広告を載せていた「クーグート」を見つけました。デザイナー経験者を募集していたんですけど、なんとなく目立っていたし気になって。面接を受けることになって、大きいB1の作品のパネルを三重県から特急電車に乗って持っていって、話を聞いてもらったり質問したりしました。けど、紙面に載っていたとおり経験者がほしかったようで、断られてしまいました。

そこからしばらくして、クーグートの方から家に電話がきて、「もう1回受けない?」と言われました。アシスタントを募集することになったそうで、入れてもらえることになったんです。

手帳  取材
 

―仕事を始めてみてどうでしたか?

入社当時はがむしゃらでした。当時はみんな夜中まで仕事したり、先輩方は泊まり込みの人ばかりで、心配になってお菓子を差し入れしたら、「いつもだから」って言われてびっくりしました。
仕事を始めてからずっとここで働いてきたので他のデザイン事務所との違いはよく分からないですけど、長年働いてきて個人的に感じるのは、クーグートは「変化する会社」だなと思います。入社当時から今にかけて、やっていることも、やり方も、時代に合わせて変わってきているなと思います。

 

―仕事をする上で心がけていることって何ですか?

お客さんが求めることをできるだけ先手先手をうつように提案しています。社長も、100%指示しない。「ここは自分で考えてね」って広がりをもたせるやり方をします。それが私的にいいなと思っていて、自分で考えて提案して、考えることの楽しさを知れたなと思います。言われたことや用意されたことをやる方がスムーズだし、効率がいいかもしれませんが、自分で考えて提案するほうが、広がりがもてるし、視野も広がるし、デザインの枠を超えた提案もできるようになれるのかなぁって。

そうやってきた甲斐もあって、単にデザインをするだけでなく、商品にどうすればファンがつくのか、というところまで突っ込んだ提案を心がけるようになってこれたかな。例えば、ポスターを作りたいという企業にいろいろ聞いていくと、本当に必要なのはCMやイベントなど他のツールなのではないかと提案するなど、求められることより、本当は何がしたいのか、必要なのかを一緒に考えて、その手助けをする。この考えが気に入っていて、私も常に意識するようにしています。私の提案をきっかけに、提案した会社の社員に勢いがついてきたりしていて、いい提案ができるようになってきたことを実感できています。

 

―つらかったことってありましたか?

夜が遅くなることはしょっちゅうですね。そんな中でも特にしんどかったのは、ウェブページのデザインをやっていたときに、とあるイラストレーターさんに、私のお願いの仕方がまずかったせいで嫌な想いをさせてしまい、依頼を断られただけでなく、その人とクーグートのつながりまでだめにしてしまったことです。その人を傷つけただけでなく、自分もとても傷つきました。

その当時、いろいろ案件を抱えていて、家にはちょっと休みに帰るくらいだったので、余裕がなかったのかもしれません。それからは、先手先手をうって、何が起きても大丈夫なように、気持ちに余裕を持てるように基本前倒しでできるようにするよう気をつけています。

 

―大変な中でサカエ経済新聞、名駅経済新聞をやりはじめた背景って何ですか?

2004年にはじめて7年目になります。最初は同僚が任されていたんですけど、月—金でアップしなくちゃいけないし、取材も初めてだし、アポをとるのもこわいし、度胸もいるし、通常の仕事とのバランスもとらなきゃいけないし・・・と大変そうで、「手伝おっか?」と声をかけて、一緒にやりはじめました。2人でやっていれば、いいことも悪いことも共有できるし、なんとかやっていくことができました。

文字を書くのも初めてでしたけど、新聞なので、「主語→日付→場所→何をやるか」の順番で書くこと、雑誌と違って客観的であること、広告的な表現ではなく、事実にもとづいて、読み手が読みやすいように書くことが求められました。ここでの経験はメール1通書くことにも活かされていて、相手に分かりやすいように自分の想いを要点をしぼって書くようになったり、しゃべり方も気をつけるようになりました。取材の経験は、クライアント先でのヒアリングにも活かされていると思います。社長の思想は、「相手の求めていることが何なのかを知りましょう。そこに答えがある。」というものですが、この経験を通して身につけることができたんじゃないかなと思います。

大ナゴヤ大学 授業  大ナゴヤ大学授業
 

―はたらく上で大ナゴヤ大学に関わって得たことは何ですか?

サカエ経済新聞、名駅経済新聞は一期一会な感じで、記事を全世界に発信して読んでもらうことが楽しいですけど、大ナゴヤ大学は、深い関わりができることが大きいなと感じています。
色んな考えを持っていて、色んなスピードの人がいる。フォローしてくれる人、なんとかなるよと言ってくれる人、がつがつした人、クールだけどいいタイミングで指摘をしてくれる人。大ナゴヤに関わっていなかったら出会えなかったであろう人に会えるし、みんな「偉いな~」と思います。というのも、実はいまだに「ボランティア」にはピンとこないからです。

授業をつくったりイベントをつくったりするのも最初は勝手がわからず難しかったです。大ナゴヤ大学開校前にデモンストレーション的に行われたオープンキャンパスのときに私もいろいろ理解しながら始めていきました。サカエ経済新聞や名駅経済新聞は読んだ人に興味を持ってもらうにはどうしたらいいかと考えますが、授業は来た人、体験した人に楽しんでもらえることは何かを考える。自分の視点でイベントを企画していく。経験できることが増えるのが面白いです。

 

―最近はどんなことをしているんですか?

最近では「NAMO.」という少し大きめのプロジェクトのディレクターをしていました。自分から手をあげて始めたのではなく、周りに「フォローするからやってみない?」と声をかけてもらって始めたのですが、いい経験になっています。

というのも、大きなプロジェクトのディレクターは今までやったことのない、全体をひっぱっていく仕事。制作物にはノータッチで、メンバーに「やりたい表現をやってね」と任せているのですが、それがきっかけで新しく見えることもありました。自分じゃ表現しないやり方、世界観を提案してくれて、「すごいな。おもしろいな。今後の参考にしよう。」と思ったり、逆にそれがきっかけで自分の好みがどんな特徴なのかが見えるようになりました。

また、先頭に立ったことで先頭に立つ人の大変さをやっと理解できるようになったと思います。社長の知り合いが以前「経営者は孤独だよ」と言っていたんですが、その意味がわかってきました。

始めた当初はあたふたしていて、毎日、プレッシャーで吐きそうな思いをしていました。まわりのみんなが支えてくれているし、「どっしり構えていなさい、あたふたするより先手をうって安心したいなら、そういうやり方をすればいい、最悪できないことは切り捨てればいい」とアドバイスをもらって、少し腹が据わりました。ぎりぎりの経験をすると、自分の好きなことや自分の特徴に気づくことも知りました。

NAMO.  NAMO.
 

―今後はどうしていきたいと考えていますか?

今が大変だからというのもありますが、これからはもっと自分の人生を楽しみたいなと思っています。いままでの自分を振り返ると、自分のやりたいことを通すより、人がやりたいと思うことをお手伝いしてきたのかな~と思います。やりたいことができないときに、人は挫折したことになるんでしょうけど、私は合わせてきたから挫折ってあまりなかったし、プレッシャーは感じることはあっても、ストレスの意味が分からなかった。
けど、今回の経験を通じて、自分のやりたいことって何だろう、と改めて思うきっかけになりました。先頭で仕切る経験を通して、自分はもともと人のサポートをしたり裏方でいるのが好きなことに気づきました。自分の意見を明確にしながら、バランスよくやっていければいいなと思います。

また、やっぱりデザイン制作をやりたいとうずうずしています。この現場が落ち着いたら、新しいタッチのイラストをやってみたり、紙に落とすデザインをやってみたいです。あとは丁寧に暮らすことですね。

 

―最後に、森田さんにとって、“はたらく”って何ですか?

たのしいこと。いろんな経験、修行ができるもの。つらいこともあったり、迷って逃げたいと思ったりすることもあるけど、そう思います。若い人たちにも、「早く仕事をしなよ。社会に出た方がいい。仕事っておもしろいよ。なんでもやってみれば?やってみないと分かんないから。」って伝えたいです。

「ムリー!」って言っていても、やってみたら気づくこともあるし。「この人苦手かもー」と思っていて、本当に苦手なこともあれば、逆なこともある。いい思いも、いやな思いも、全部いい経験だと思います。

 

—以前から知り合いの森田さん。インタビュー前は、いつもいろんな仕事をして忙しくしているのに、困っている誰かのために優しく接する森田さんに、どこからそんな余裕が来るのだろうと不思議に思っていましたが、取材を通して「人に寄りそう」ことが無理なく自然体でできる人なんだなと感じました。大変な経験を通じて新たな自分に気づいた森田さんの今後が楽しみです。—

 

取材日:2013年10月9日/取材者:前田智絵、若尾和義、大野嵩明/写真:本人および大ナゴヤ大学提供、若尾和義/記事:前田智絵/校正:小林優太