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2014-11-17

街とともに生きること〜第13回 はたらくインタビュー【フリーライター 大竹敏之氏】後編〜


2013年2月愛知淑徳大学クロストーク (668x376)

大竹さんインタビュー中編では、本の出版や、大竹さんにとって欠かせない浅野祥雲さんとの出会いやそこから学んだことについてまとめさせていただきました。後編では、『名古屋の喫茶店』制作秘話から名古屋の街に対する想い、今後やっていきたいことについてまとめております。引き続きご覧ください。

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―2010年くらいから、またなごやめしに力を入れている印象があるんですが、どうしてですか?
そうですね。力を入れてるっていうか、ずっと名古屋ネタは自分の中でも一番大きな柱なんでねえ。名古屋ネタの中で一番需要のあるのは食なので。そこの仕事はずっと何かしら継続してあったんですよ。でもきっかけは『名古屋の喫茶店』を出したことなんですよ。2009年かな。でもあれは、なぜ生まれたかというと、暇で仕事がなかったから。


―えっそうなんですか!?
そう、ずっと雑誌を中心にやってきたんですけど、雑誌がどんどんどんどん、先細りになってて。三十前半くらいまでは、あんなにあった雑誌の仕事がどんどんどんどん。一誌なくなり二誌なくなりって雑誌そのものが。毎年なんかしら仕事をしてた雑誌が休刊しちゃったり、ってときがあって。そうこうしてるうちに書籍にシフトしていったんですけど。書籍にシフトしていくと、余計雑誌の仕事が小回り効かなくなってきて。で、書籍の仕事の怖いのが、スパンが長いおっきな仕事なんで、一本こけるとね、ごそっと目の前の仕事がなくなるんですよ。

そのときも一年がかりでなんとかやれそうだなって思ってた書籍の仕事が、土壇場になって出せませんっていう話になっちゃって。ほんとにね、目の前の仕事が全然ない感じになっちゃったんですよ。売り上げがレギュラーの仕事で十万あるかないかみたいな感じで。少ない分を書籍でがっつり半年がかりで補填するくらいのつもりだったのが、なくなっちゃったんで。暇で暇でどうしようなって。で、また雑誌社に営業に行ったりとか。そういう中の一つで、リベラル社に企画を持ち込んだんです。


―どんな内容だったんですか?
たまたま一年前の飲み会で知り合った編集者がいたので行ったんですけど、変な仏像本を作りましょうって言ったら、そんなの売れないよって言われて。あーそっかー困ったなーって。でも社長に「ところで大竹さん喫茶店とか興味ないの?」って。喫茶店はAll Aboutでしょっちゅう記事書いてて、すっごいアクセスいいんですよって言ったら、「それやらない?」って言われて。暇だししょうがないから喫茶店で企画書を書き直して持っていったら、そのままじゃあこれでやろうっていう話になって。暇じゃなかったらあの本はなかった。

幸いにもヒットしたんで、あれですごくね、仕事がやりやすくなって。あれが一番風向きががらっと変わった感じですね。毎年リベラル社から次何やりましょうって。それ以前に書籍三~四冊出しているんですけど、全部こっちの持ち込み企画なんですよ。追Q局を書籍化したときもそうだし、バカルトも書籍化してるんですけど、持ち込みだし。全部もともと連載していたものをまとめて、みたいな。

『名古屋の喫茶店』の次の『名古屋の居酒屋』からは、あっちの方からなんかやりません?って言ってもらって、作れるようになって。で、書籍が継続的にっていうか定期的に出せるようになったっていうのもあるんですけど、喫茶店の本をだしてから、ここ1〜2年講演してくれとか、毎月何かしら喋る仕事が。区の生涯学習センターとか大学とか、いろんなところから声をかけていただくことがあって。大ナゴヤ大学も何回か先生として出たりして、テレビも毎月何かしらあったりとか。一昨年かその前か、テレビでレギュラーを持ってたときもあって。生番組に出てたんですよ。名古屋っていわゆる文化人枠っていうのがほぼないので、自分がとくに文化人っていうつもりはまったくないですけど、便利屋的に使いやすいんでしょうね。

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―じゃあ、今は本の仕事の方が増えてきているんですか?
今はたまたまですよね。書籍はいつどうなるか分かんないので。今たまたま重なってますけど。来月2冊、祥雲さんの本(『コンクリート魂 浅野祥雲大全』9月30日発売)と、なごやめしの本(『まんぷく名古屋』10月10日発売)がほぼ同じ時期に出るんで、自分の二本柱のものがほぼ同時に出るんですけど。じゃあそれが半年後なんかあるのっていうのはまったく分かんないですから。ある程度レギュラーの仕事をやっていかないと怖いんですけど。レギュラーがあるのかないのか今よく分かんない状態なので。


―最近ではなごやめしに関する懇親会に出られたりとか、社会的な、名古屋の街に関わる活動にも顔を出されていますよね。
何か力になれる、街の力になれることがあるんだったら、お声かけて頂いているし、お受けしますよって。こっちがやりたいって言って、手を挙げてやれるものでもないので、声をかけてもらっているうちは、できる範囲でやろうってだけの話なんですよね。ほんとは書くだけでいいんですけど。一応、「生涯一ライター」が人生の目標で。ほんと人前で話すのが苦手なタチなので。ただ、出ることで本が売れたりするんだったら、出なきゃなっていうのがあるのと、今は本のPRとかは関係なしに、自分が今までやってきた名古屋に関する知識で、名古屋のためになるんだったら、それも同じように名古屋を元気にすることだと思うんで。自分でいいんだったら、やらせてもらおうかなっていうことですよね。


―名古屋に興味がなかった学生の頃から、名古屋に対する想いっていうのはどう変わっていったんですか?
それは、やっぱり大学の四年間がすごく楽しかったっていうのが、ベースででかいと思うんですよ。京都が大好きだったんですね。京都ってほんとに楽しくって、このままほんとに京都の人になってしまいたいと思ってたんです。でも京都は一般的な出版社がほぼほぼないんで、京都で出版人になることは叶わなかった。でも自分が楽しく生活できていれば街が好きになるんだなっていうのを京都で気づかせてもらった。だから自分が仕事を充実してやれてて、楽しくやれていれば、名古屋を好きになれるのかなあって。

住んでる街をね、好きになれないっていうのは自分のせいなんですよ。地元の常滑にいたときの自分がそうだったんで、常滑のことがあんまり好きじゃなかったんですけど。自分が目標も見つけられなくて、だらだら過ごしていたからってだけな話なんですけど。街のせいじゃない。街のせいにするっていうのは、高校生までしか許されない話で。


―仕事始めて最初の三年間は名古屋に対してどういう想いでしたか?
好きとか嫌いとかは、なかったかな。でもどんどんどんどん、街と関わっていくに従って、自然となんか、馴染んでいった感じですよね。もともとホームタウンみたいなものですし、過ごしやすいし。だから名古屋やだなーって思ったことは、名古屋に来るようになってからは一回もない。最初の頃は特別名古屋っていうのを意識してなかったですけど、でもまず自分だなーっていうのは京都のときからあったので。で、仕事はずーっとある程度楽しくはできてたんで、街に不満がいくようなことは、基本なかったですよね。仕事がどんどん充実してくれば、比例するように街も好きになっていくんで。


―職業柄、色んな名古屋を知っていくっていうのも、名古屋を好きになっていくきっかけになっているんじゃないかと思うんですが、いかがですか?
そうですよね。やっぱり知っていくとおもしろいところっていくらでも見つかるし、まず基本街が好きっていうのがあると、どんどんどんどん、いいところが見えてくるんですよね。で、そういう人がいっぱい増えていくと、もっともっとまた街が楽しくなるし。街が楽しくなると僕らも仕事がどんどんやりやすいし、リンクしてると思うんですよ。もっとこれ紹介したいなってなってくるし。で、紹介することによって、その情報を受けた人が、たとえばですけど、この辺にうまい飲食店があるよって知って、そこに行ってくれて。あーうまい店あるじゃんいいじゃん名古屋って思ってくれるって。一人名古屋が好きな人が増えてくれるといいなって思って書いているんですよ。そういう人がどんどん増えると、やっぱり街はどんどん元気になっていくし。


―今の名古屋に住んでいる人に向けて思うことってありますか?
能動的な人は名古屋が好きな人は多いよね。住みやすいよねーで終わっているのがわりと普通なんですけど。でも知ろうとすると、やっぱりここにしかない面白さとか、魅力ってね、いっぱいあるじゃないですか。味噌カツって他のとこでは食べてないんだよっておもしろいじゃないですか。いっぱいある。それだけね、ここ特有のものがある街ってあんまりないと思うんですよね。それはやっぱり愛すべきところだと思うんですよ。

変でやだーじゃなくって、他になくておもしろいって思えば、景色はがらっと変わると思うんです。恥ずかしいって思っちゃう時期もありますよね。見方次第っていうか考え方次第なので、同じ事柄があったとしてもどう思うかによって、まったく見え方って変わってくるんですよ。


―そういう考え方ってどういうところから教わったんですか?
雑誌の『QA』とかは、いろんな蓄積としてあると思いますけどね。浅野祥雲さんとかもそうだし。僕十何年がかりで祥雲さんに対する自分の考え方が変わってますから。ただのおもしろおかしいものとしてしか見てなかったものを、今はまったく違う見方ができてるんで。名古屋っていう街そのものも、割とそういうとこがあって、ほんの十数年前まで、メディアに取り上げられるときは、ほぼ揶揄の対象。なごやめしもゲテモノ。とんかつに味噌かけるなんてばかじゃねーの、って。でもそれもほんの十年前。万博の前までは誰もがあんなものは変なもので、わざわざこっちに来て食べようなんて人はいなかったわけじゃないですか。それで名古屋の人もなんか萎縮して、自信がなくてっていうのがすごくあると思うんです。

そこで自信もって、「これ面白いんだよ、うまいんだよ」って言えるかどうかで、全然がらっと変わってくるんですよね。私自身も浅野祥雲さんとか、いろんなもので体験したことだし、名古屋の街も体験してることだと思うんです、それは。がらっとイメージが変わるっていう。万博前後はかなり大きな契機になってると思うんですよね。あれの前までは明らかに揶揄の対象だったし、なごやめしはゲテモノだったんです。


―名古屋をPRしていくみたいな気運もやっぱり万博前後からなんですかね。
そうですねえ。万博で割と「あっ俺たちそんな変じゃない」というか、「悪くないじゃん」って気づいて、なんとなく徐々に自信ができてきて、みたいなとこじゃないですかね。経済誌とかがこぞって名古屋特集とかをね、『東洋経済』とか、『エコノミスト』とか、ばんばん万博に合わせて組んで。それまでの名古屋の取り上げ方とはまったく違った取り上げられ方をメディアがするようになって。万博で来た人がなごやめしの味噌カツ食べたりするのを見て、「あっいいんだー」って。

『東洋経済』の名古屋特集とか、あんなのなかったですもんね。名古屋すごいんだって。万博効果みたいなのが、そういうので蓄積でじわじわ後から来ましたよね。

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―都築響一さんに影響を受けたと伺っていますが、どういう点で影響を受けていらっしゃるんですか?
都築さんは雲の上の人なので、書き手としてのあこがれですよね。いわゆるB級スポット的なもののカリスマみたいな風に見られてるんですけど、あくまであの人、実は民俗学的なアプローチなんですよ。他のB級スポットを扱う人は、ただおもしろおかしく、だと思うんですけど、すごい人ですよ。僕なんかがほんとは対談できる人じゃない。でも基本的にはね、ご本人はすごく腰の軽い人で、電話一本つながれば「あーいいですよ」っていう人なんですよ。そんなの任せますからいいですよって感じの。すっごい怖そうでしょ。でもしゃべるとすごい優しい。

埋もれてる民俗文化っていうかね、リアルな日本人の姿とか生活とか、その対象に肉薄していって書くっていうスタンスなんですよ。俯瞰的に評論家的に分析するんじゃなくって。スナック書くんだったらスナックに通い詰めて書くっていうスタンスなんですね。そういう点ですごく尊敬してる存在ですし、僕もグルメの本を作るときも、グルメの本を作っているつもりはなくって、やっぱり街で生きてるからこそできる本を作りたいなあと思ってるんですね。名古屋にいるからこそ、できる仕事っていうのは絶対あるわけで。出版とかね、マスコミの仕事っていうのはやっぱり東京発信が圧倒的に多くって、九割以上が東京発信のものですけど、じゃあ地方でそれが成り立たないかっていうと、絶対そんなことはないと思って。都築さんがスナックを書こうと思ったらスナックに通うしかスナックのことは書けないように、名古屋のことを書こうと思ったら名古屋にいないと書けないことが絶対ある。

気になる居酒屋があったら、その日の夕方思いついて夜に、っていうのは名古屋にいないと絶対できない。けっこうそういう単純な距離感でできるかできないかっていうのが決まってきたりするんですよ。そういう対象との接し方っていうところですかね。近いところから頬ずりしてっていう感じじゃないと、書けないこととかね、いっぱいあると思っていて。距離感の問題で絶対仕上がりにも違いが出てきますし、どっちが良いか悪いかは別の話ですけど。僕は都築さんみたいなやり方がちょっとでもできたら。都築さんみたいなやり方っていったらおこがましいですけど。

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―もう一人、Tokuzoの森田さんも尊敬している方だと伺っていますが、どんな方なんですか?
森田さんは昔から知っている人なんですけど、編集時代の師匠の親友の旦那さんで。あと自分が好きで何度も足を運んでいるライブハウスのオーナーでもあるんですけど。あの人は自分が好きなことをやって、それが結果として名古屋を楽しくしてると思うんです。そういう点ですごくリスペクトしてる。名古屋ですごく尊敬している上の世代の人ですね。

森田がやっているとこだから出るわっていうミュージシャンもいっぱいいますし、普通だったらもっとでかい箱でできるのに、Tokuzoだったらやるよっていう人がいっぱいいるんですよね。国内トップクラスのアーティストとか。そういう人呼べることで、名古屋絶対楽しくなってきてると思うんですよ。ライブが終わったらその場で飲めちゃいますもんね。アーティストと喋れたりも。森田さんも大概飲んでるし。接し方もフラットな人ですし、腰も軽いし。


―今後の目標というか、今後やっていきたいことは何ですか?
今後は別に大それたことってないんですけど、そうだなー。やっぱ同じことですね。名古屋にいるからこそできる仕事をしていきたいなあっていうのはありますね。雑誌の記事書いてるときからそういう意識はずっとありますし、それは変わんないんですけど、受け手にそれが伝わりやすいんですよね、書籍って。名前出していると。絶対名古屋にいなきゃこんな本できないっていうものを作りたい。

本でもいいし、記事でもいいし。今度出る祥雲さんの本(『コンクリート魂 浅野祥雲大全』9月30日発売)とグルメの本(『まんぷく名古屋』10月10日発売)とかは、そういう作りになっていると思うんです。名古屋以外の人だったりには絶対できないっていう本になっていると思うんで、そういうのを一つずつ今後も作っていけたらいいなって。あとはさっき言ったように「生涯一ライター」って全うできるといいなあって。先生なんかにはならずにですね。


―最後に大竹さんにとってはたらくとは?
僕の場合は、今は「街とともに生きること」。仕事を自分が楽しんでやると、結果として街に何かしら楽しいことが増えて、街を好きな人が増えるとまたさらに街が楽しくなって、自分も楽しく仕事できて。

『名古屋の居酒屋』を出した後に、あるお店に飲みにいったときに、ご夫婦で「この本の中でここの一文を読んでこれはって思って来たんです」って言ってくれた人がいて。そこはまさに僕もね、ほんとに渾身の力を込めて「俺この店のここが好きなんだよ」っていうのをまさに書いたところで。あっ想いが通じたなっていうのがあって。

いい店は繁盛しなきゃいけないし、繁盛してるいい店がいっぱい増えるのが街の元気だと思うんです。飲食店って一番それが分かりやすい。リアルに街の活力とか、いろんな人にね。僕らの仕事は人の褌で相撲を取らせて頂いているもんなんで、いい記事をかけるのは美味しい飲食店さんがあるからこそ書けるっていう立場の仕事なんですよ。


—コンパル大須本店での約二時間のインタビューでしたが、とても中身の濃いお話をして頂きました。お話をお伺いしている中で、一瞬大竹さんが語気を強くされたことがありました。「才能とかそういう世界で仕事をしているわけではない。才能とかそういうのは一番強く否定している。僕らの仕事はそんなレベルで仕事している世界じゃないですよ」。そのときはまだインタビューが始まって間もない頃だったので、その言葉の意味が理解できていなかったのですが、お話を進め、記事にしていく中で、飄々として見える上辺からは想像がつかないほど、時間と労力を使って根気よく「足で稼ぐ」大竹さんの姿が見えてきました。

私の編集能力が低いというのもありますが、どのお話も捨てがたく、ほとんどお話した通り掲載させていただきました。ライターを志す方、職業にされている方はもちろん、名古屋を盛り上げようと活動している方にもぜひ読んで頂きたい内容です。—



取材日:2014年8月25日/取材者:前田智絵、大野嵩明、小林優太、伊与田聖也/写真:前田智絵、大竹さんご本人および大ナゴヤ大学提供/記事:前田智絵/校正:若尾和義、ハギワラヒロコ