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2015-07-16

サラリーマンから農家になる〜第16回 はたらくインタビュー【百姓 井上哲平氏】〜


井上哲平氏

はたらく課第16回インタビューは、百姓の井上哲平さんです。出会いは、名古屋駅で開催している「ナナちゃんストリート オーガニック夕ぐれ市」でした。そこで、農業体験をしていることを知り、何度も通ううちに、農家さんの“はたらく”に興味を持つようになり、井上さんにインタビューをさせていただくことになりました。

—農家になる前は、求人広告の会社で働いていたそうですね。なぜ、求人広告の仕事を選んだのですか?
デザインが好きで、広告業界で働きたいと思って就活したんです。最終的に、名古屋にある「求人広告」の会社と大阪にある「販売促進広告」の会社から内定をもらえて・・・。どっちにするか悩んだんですが、求人は「人」にフォーカスを当てて、販売促進は「商品」にフォーカスを当てていて、どちらかというと「人」に関わる仕事の方が自分には合っていると思って、求人広告の会社を選びました。

―求人広告の仕事はどうでしたか?
仕事は、やりがいももちろんあったけど、しんどかった部分もありました。新卒で入社して、営業職を5年ぐらい経験しました。営業にとって大事なのはやっぱり「数字」なんです。月末が近づくと、そんなに求人は必要ないだろうなと思う会社であっても、無理矢理営業電話かけたりして。頑張って目標数字に達成したら嬉しいけど、心の奥ではでなんだかなぁという思いが残るんですよ。結局、自分の中では、最後まで「数字」の達成がモチベーションにはなりませんでした。数字よりも、もっと広告づくりに向き合いたくなって、休みの日に専門学校に通ってデザインの勉強をはじめたんです。その流れで社長や上司に相談して、制作部門に異動させてもらいました。職種もかわったし、色んな経験をさせてもらったし、社会人としての基礎を身に付けさせてもらえた職場でしたね。

―仕事を悩みながらも頑張る中で、農業と出会うきっかけはなんだったのですか?
自分の基本的な性格として、やっぱり「人」とつながっていたいってのがずっとあるんです。「人」とワイワイやったりするのが単純に好き。会社を選んだきっかけも「人」だし、休みの日も仲間とスポーツやったり、ボランティアやったりと、外に出て人と積極的に関わる方だったんです。まあ、裏返していえば、かなりの寂しがり屋で一人きりでは生きていけないタイプなんだと思います(笑)。

もともと農業には全く興味はなかったし、接点もありませんでしたが、きっかけになったのは、2009年にその時の彼女さんに誘われて行った、新潟・越後妻有で行われたアートイベント「大地の芸術祭」です。そこは、田んぼの真ん中に芸術作品が展示してあるなど、「アートを通じて地域、田舎、人のくらし、農業などをみつめ直す」仕組みになっていたんです。アートも印象的でしたが、田園風景とか、現地の方と交流したこととかがより印象に残りました。

それからしばらくたって、その彼女さんと別れることになっちゃったんですね。生来の寂しがり屋のぼくはそれで相当落ち込んだわけです(笑)。しばらくは仕事している時間以外は何も手につかない状況になって、このままではヤバいなと・・・。人と繋がりたくて自分なりに仕事も趣味も一生懸命してきたけど、まだ繋がりきれてないなという寂しさがあって、何か新しいことをはじめようと考えていた時に、大地の芸術祭で見たあの田園風景が浮かんできたんです。農業をつうじて、一緒に汗かいて体を動して、その後においしいものをワイワイ言いながら食べて・・・人と繋がりやすい環境をつくるのに、農業っていいかもと気付いたんです。そんなこんなで、まずは農業体験に行ってみようってなりました。

農業体験

―それから、農家さんとどのように繋がったのですか?
インターネットで検索して農業体験ができるところを探してみたけど、なかなか見つかりませんでした。それで、友達に誘われてオアシス21のオーガニックファーマーズ朝市村に行って、太田農園の太田さんを紹介してもらいました。

すぐに太田さんがやっている農業体験に行きだして、やっぱり自分が思っていた通り人と繋がれるなという手応えを感じることができたんです。農業体験ができる場所を探すのに苦労したので、自分が農業体験イベントを開催して情報発信すれば、自分と同じように考えている人が見つけて来てくれるだろうという予感もしていました。それで、2011年4月に通いはじめて、6月にジャガイモ掘りの体験イベントをやってみました。友達も誘って10人ぐらい集まって一緒に農作業して、終わったらみんなでBBQをしました。お酒も飲みながらワイワイしている時に、自分が生き生きしているのを感じて、こんな人生もアリかなと。一方で、勤めていた会社は、太田農園に通いはじめた当初は辞める気はなかったけど、毎日終電まで働いて、30歳もすぎると、このままずっとこういう人生でいいのかなと葛藤も生まれていたんです。

―それで会社を辞めようと?
そうですね。かなり迷いましたが、8月ごろに会社を辞めようと自分の中で決めたんです。ただ、辞める決意はしたけど、自分の想いが本物なのか、本当に農業がやりたいのかはもう少しじっくり向き合って考えないといけないと思っていました。最終的に太田さんに相談したのは11月ぐらいです。決心はしたけど生半可な世界ではないと思っていたので、その間ずっと自問自答していました。

―仕事を辞めて、農家のなりたいと言った時の太田さんの反応は?
最初は反対されましたね。本気なのかということを確かめたかったというのもあると思います。それで、太田さんを説得するために、なぜ農家になりたいのか、最終的に何を実現したいのかを書いた企画書を出しました。かたちとして自分の意志をみせることで、太田さんの態度も変わりましたね。

太田さんは、10年以上1人で農業をやってきた方だから、研修生を受け入れるとなると1人の人生を預かるみたいなこともあると思うので、太田さんにとっても勇気のいる決断だったと思います。

井上哲平

―農家になって、生活費はどうしているのですか?
もちろん貯金もつかいましたが、ちょうど、研修生に対する青年就農給付金という年間に150万円補助してもらえる制度ができて、正直ありがたかったです。ある程度お金がなくなることは受け入れていたけど、それでも給付金がなかったら、ちょっときつかったかもしれません。かなり精神的に追い込まれていたと思います。

農家になる前に、太田さんにどれくらい売上があるかも聞いていて、自分が研修生として入れば労働力が2倍になるから、売上も簡単に2倍になると思っていました。現実は、全然そんなことはなかったですね。最初の方は、一から十まで太田さんに指示してもらって作業するしかないから効率は上がらないし、すぐに面積も広がらない。たとえ2倍の野菜ができたからといって、販売先がすぐに増えないという問題もあります。正直今でも考えがあまかったなと思いますね。

―農家になって、気持ちの面で変化はありました?
解き放たれましたっ!基本的に自分のやりたいことしかやりたくないという感じになってきています(笑)サラリーマンではありえないですね。自分でスケジュールを決めて、何をつくるか、どうつくるか、いくらで売るか、誰に売るかなど、すべて自分で決めれるので、ある意味やりたい放題です。有機農業は、そこが気持ちいいですね。

農作業

―逆に大変な部分は?
やっぱり体力的なところと、お金の部分ですね。農家になる前は、サラリーマンだと年収1,000万はなかなか難しいけど、自営業になるわけだから頑張れば1,000万とかいけるかもしれないという淡い期待もしていました。いざやってみるととてもじゃないけど・・・。1袋100円の野菜を売って1000万の売上を上げようとしたら10万袋必要なわけで・・・それだけの量をつくるのはかなり難しいですし、経費もかなりかかります。
1つの目標として、農家になると一時的にサラリーマン時代より年収は落ちるだろうけど、5年以内にサラリーマンの平均年収ぐらいの450万にはもっていきたいと思っていました。でも、正直まだそれにも遠いですね。それを達成しようと思うと、やり方を変えていかないといけないし、思い切って機械投資しないといけないかもしれません。年収450万を達成することは、農業をやる前に考えていたより簡単じゃないなと実感しています。

―今後の目標はありますか?
現在は研修が終了しすぐ近くの田畑を借りて独立し、独立型の就農給付金をもらえているから、これが終わるまでに人並みの稼ぎを得られるだけの売上を上げたいし、そういう姿を見せたいですね。また、やりたかった農業体験を通して人と繋がることは叶ったので、それはずっと継続していきたいです。

今一番大きい目標は、自分が農業をしている知多半島を、有機農業の一大産地にすることです。知多半島は、大消費地である名古屋に近く、気候は温暖で一年中農作業できるし、畑や田んぼの面積も大きく、愛知用水があるので水源の心配もなく、獣害もない等、農業をしやすい環境が整っていて、有機農業をやるのに非常にポテンシャルが高い地域です。そのために、有機農家の仲間を増やしていきたいという想いがあります。ただ、自分の経験からすると、憧れだけではやっていけませんし、思った以上にお金も必要です。これから就農を考えている人には、自分の体験を通じて、そういった部分も正直にお話をしていきたいですね。

田植え

―最後に、井上さんにとって“はたらく”とは?
「自分のやりたいことを、必死にやること」ですね。やりたいことでも趣味の段階と、それを仕事にするのとでは全然違います。趣味だとそこまで必死じゃなくていいし、真剣にならなくてもいい。仕事となると、自分の知力も体力も財力もすべてつぎ込まないといけないので大変な部分もいっぱいあります。自分のやりたいことだけど、必死にやらないといけない。まあでも、かつてはやりたくない仕事でも必死にならないといけないこともあったわけですから、やりたいことに必死になれることは、ある意味幸せなことだと実感しています。

―求人広告での仕事の葛藤や農業を志す上でお金と向き合うことの大変さなど、リアルな“はたらく”のお話を聞いて、覚悟を持って農業の世界に飛び込んだことが伝わってきました。やりたいことをやるには、覚悟と必死に頑張ることが大事。シンプルなことですが、行動に移すことが難しい・・・。知多半島で農業をやりたい方は、井上さんに会いに行って、話を聞いてみてください!今後も、食に関わる“はたらく“に注目していきたいと思います―

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取材日:2015年6月16日/取材者:大野嵩明、萩原紘子 /写真:大野嵩明、萩原紘子、井上さんより借用 /記事:大野嵩明 /校正:萩原紘子