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2013-06-06

カンボジアの胡椒を復活させる〜第5回 はたらくインタビュー【KURATA PEPPER Co.Ltd. 倉田浩伸氏】〜


KURATA PEPPER Co.Ltd. 倉田浩伸
はたらく課第5回インタビューは、KURATA PEPPER Co.Ltd.(クラタペッパー)の倉田浩伸さんです。KURATA PEPPER Co.Ltd.は、「世界一おいしい」と言われていたにも関わらず内戦後消滅してしまったカンボジアの胡椒を復活させるため、自社農園で栽培を開始。そして日本をはじめ世界各国に胡椒栽培がカンボジアの産業であると広めることを目的に、輸出販売を行っています。倉田さんは、農園のあるカンボジアで1年の大半を過ごし、農場の乾期や収穫後に日本や海外での営業活動と合わせてご家族がいる愛知県岩倉市に戻るという活動をされています。そんな倉田さんに“はたらく”についてお伺いしました。

プロフィール
1969年、三重県に生まれる。亜細亜大学経済学部経済学科を卒業後、1992年8月よりNGO「JIRAC」に参加してカンボジアを訪れる。その後“自分でできること”を探して、1994 年にプノンペンで調査事務所を設立。1997年には胡椒農園を創業し、同年のうちにカンボジア現地法人格も取得する。そして、2003 年にプノンペンに胡椒専門店「KURATA PEPPER」をオープン。現在はコッコン州スラエアンバルに5.8ヘクタールの農園を有し、「世界一美味しい胡椒」の復活を目指す。

—倉田さんがカンボジアで活動するきっかけは何だったのでしょうか?
カンボジアに興味を持ったのは、高校1年生の時に見た英国のアカデミー賞映画『キリング・フィールド』(カンボジア内戦を取材したニューヨークタイムズの記者の実話をもとにした映画)に影響を受けたのが最初です。その後、世界史の教科書で見たピューリッツァー賞受賞写真『安全への逃避』を撮影された沢田教一さんがカンボジアで狙撃されていたことを知り、カンボジアの内戦について調べ始めました。

大学在学中、自分にできることは何かと考え非政府組織NGOの活動隊員に参加したところ、1992年にタイミング良くカンボジアへ派遣されました。当時は学校建設のプロジェクトが進められていて、この時私はプロジェクトの終了後も貧困で困っているカンボジアの子供たちのために活動することを決意したのです。

そして、カンボジアの産業育成、特に地元の人が主体となれる産業構築と地域社会を目指して、NGOを辞めて農産物の貿易会社を設立しました。

  

―最初は黒胡椒ではなかったのですね?
そうなんです。最初は、直接復興できるだろうと農産物の日本への輸出を始めました。日本にないドリアンやココナツなどのくだものを輸出すれば売れるだろうと思ったのですが、これが大失敗。旅客機で運んだのですが、ドリアンはその強い臭いが乗客の荷物についてしまい、ココナツは気圧の関係でつぶれて荷物を汚してしまったとクレームが続出したのです。様々なもので失敗し、諦めの悪い私もさすがに参ってしまいました。

そんな時、1960年代の貿易資料を入手することができ、かつてカンボジアは『世界一の胡椒』の産地だったことを知りました。『これだ!』と思って以前の産地の農家をまわり調査すると、内戦で米以外の農作物が栽培禁止になったあと、残っていた胡椒の苗で栽培を再開させていた家族に出会いました。胡椒の復活のため地元の人に畑を借りて農地開拓を始め、近隣の村に苗を売って少しずつ胡椒の栽培を広げていくことができたのです。


—黒胡椒は順調に売れましたか?
全く売れませんでした。私がこだわったのは、安全で高品質な胡椒を生産すること。古くから伝わる農法でカンボジア国内初の『オーガニック認定』を取得した『世界一の胡椒』は、カンボジアでは高くて売れませんでした。また、仲間だと思っていた友人に車・パソコン・テレビなど全てのものを持ち逃げされ、会社は倒産してしまいました。

でも、その後もあきらめきれなくて、観光ガイドのアルバイトをしながら胡椒を作り続けたんです。そんな時に出会ったのが家内です。社会人のボランティアとして子供たちに絵の描き方を教えていた家内と出会って10カ月後、結婚しました。

妻の一言で、『KURATA PEPPER』のプランド(商号)を作り、ロゴのデザインを変えてカンボジア国内で販売を開始しました。輸出は10tコンテナの大量な量が必要だけど、お土産としてだったら少量でいい。アンコールワットで有名なシエムリアップで販売を始めてみたのですが、旅費の高い日本人団体客には売れませんでした。

今度はお店を作って販売を始めました。ここでようやく売れ始めました。現地に視察や調査できていた人たちが購入して『香りが良くていい胡椒がカンボジアにある』と日本で広めてくれたのです。

今まで門前払いだった日本の商社・スーパー・居酒屋チェーンからもご注文をいただきました。ドイツやデンマークのビールメーカーのブレンダーの紹介により、海外にも広がりました。売りに行くのではなく、いいものを探しに来た人に知ってもらうきっかけが大切だったのです。

  クラタペッパー

—仕事で苦しい時の乗り越え方は?
動いてなんとかします。諦めない。たとえば、納期が遅れている場合には、お客様に謝る⇒一緒に運ぶ⇒飛行場で原因を確認する⇒確認する所長がいないことを確認⇒所長がいそうな場所を探す。⇒お願いする。できることを考えて行動するのです。思ったら走り回っていたと言われる坂本龍馬を尊敬していることも影響があるかもしれません。

高校のころ、気になる新聞記事を読んだ後、新聞社に行きその記事を書いた記者に合わせてほしいとお願いしたこともありました。『本当に会えたらうれしい。』そんな思いで会いに行くと心広く受け入れてくれました。足りないことは反省すればいい。悩むより行動ですね。


—今後の目標はなんですか?
胡椒を通じてカンボジアのこれからの産業をもっと育成したいですね!カンボジアの良さをもっと広めていきたいと思っています。『世界の人から胡椒はカンボジアね!と言われたい。』『少量でもだれでも知っている胡椒界のフェラーリになりたい。』『カンボジア人が誇れる胡椒にしたい。』私がいなくても大丈夫なように。

胡椒以外にもっと現地にある宝物を発掘します。新商品の開発です。雑草のように生えているレモングラスもお茶になります。居酒屋チェーンで焼酎に混ぜて販売したところ好評です。三角井草は畳表として利用できそうです。オーガニックコットン、泡盛などの開発も進んでいます。貿易商社を行っていた時に商売のリソースをいっぱい見つけました。カンボジアでビジネスを考えている方がいらっしゃったらご紹介しますよ。

日本には制度はありますが、カンボジアにはまだ制度が整っていません。2011年までの6年間、カンボジアの日本商工会の役員としてJETRO誘致のお手伝いも行いました。海外直接投資(日本企業をカンボジアへ誘致)を勧めてきました。2006年にはカンボジアのオーガニック協会副会長として普及を進めました。輸出手続きの法務化を言い続けて体制が変わりつつあります。まだまだ改善の余地はありそうです。

  

—高い目標設定をしてあきらめることをしない倉田さんですが、あきらめたことはありますか?
いっぱいありますよ!学生のころ目指していたのはエンジニアでした。物理が苦手で諦めましたが、自動車工学を学んで車を作りたかったんです。

もうひとつ目指していたのは、中学・高校の社会の教師です。社会に出ていない人間が社会の先生になれるはずがないと思っていましたが、最近母校で講演をしたり、カンボジアのスタディーツアーで学生さんに国際関係やインターナショナルの価値観をお伝えしているうちに、教師になりたいと思うようになりました。

こちらはカンボジアの事業が現地に全て任せられるようになったら、日本に戻って実現する新たな目標として設定しています。


—今、学生に何を伝えたいですか?
若いうちにいろいろなものに接して、自分のやりたいことを見つけてほしい。それを実現するために大学等に進んでほしいと思います。やりたいことがないのに勉強しても身に付きません。それだったら仕事をして社会から学ぶほうがいい。やりたいことが見つかると思います。

  

—最後に、倉田さんにとって“はたらく”とは何ですか?
わからないです。私は「はたらいて」いるのだろうか?やりたいことをしているだけなのかもしれません。「働く」という文字は人が動くと書きますが、その通りだと思います。“はたらく”ことは『目的に向かって動くこと』かもしれません。今後も動き回ります。

『明日はこないと思って、今日を生きる』。15歳の時に前日までケンカをしていた兄が突然なくなるという経験から、価値観が変わりました。今日できることは今日やるようにしています。明日人生が終わっても後悔しないように。

——倉田さんに最初にお会いしたのは、マルシェの販売ブースでした。たまたまブースの前に行くと『カンボジアで胡椒をつくっていて、世界一の胡椒にしたいのです。』と穏やかな口調ながらアツイ思いが伝わってきました。今回、『なぜカンボジアでの胡椒生産にこだわっているのか?』が気になってカンボジアへ帰国前の貴重なお時間をいただきました。取材で伺った倉田さんの“はたらく”はまさに一期一会。出会いと自分の気持ちを大切に、あきらめないことで何かが変わることを学びました。——-

≪ KURATA PEPPER Co.Ltd.

取材日:2013年5月8日/取材者:若尾和義、前田智絵 /写真:前田智絵、大野嵩明、先方借用 /記事:若尾和義 /校正:前川みどり