自分の成長する機会を得ること〜 第12回 はたらくインタビュー【株式会社三晃社 営業開発局 コンテンツ開発部 チーフ 堂原有美氏】〜
はたらく課第12回インタビューは、広告代理店勤務 企画チーフ 堂原有美(ドウハラユミ)さんです。 全国の武将ブームの火付け役「名古屋おもてなし武将隊」を仕掛けて、次々とあらたな企画を立案、街のにぎわいを創り出す堂原さん 。出会いは、歴史を紹介するNAMO.プロジェクト 円頓寺でのイベントでした。立ち話の中で「地域活動に関わることは自然なことです。」と笑顔でお話してくださった言葉が印象に残りました。そんな堂原さんに、行動力で地域の課題に取り組む“はたらく”についてお話を伺いました。
-地域活動はいつ頃から意識されたのですか?
高校までは、スポーツ少女だったんです。地域のことは、考えたこともありませんでした。体力テストでは学年1位。部活動では水泳部の副部長を務め、県大会でも活躍しました。自信もあったのですが、けがをしたことでスポーツでの進路を断念しました。その頃、母親が「この人いいでしょ!」と、よく新聞の切り抜きを持ってきて、地域活動に取り組む女性の記事を紹介してくれました。「社会の役に立つリーダーを目指したい」と思うようになったのは、母親のおかげかもしれません。大学では人文学部社会学科で学びながら、地域活動に参加し始めました。NPOの活動に参加してFM三重のレポーターとなって地域の若者の居場所づくりを行ったり、中日新聞の学生記者として学生団体の人に会いに行ったり、議員の方に会いに行ったり、とりあえず何でもやろうと活動していました。海外に行くことを目標にESS(英語研究会)の部長として語学力を身につけました。1ヶ月間オーストラリアに滞在し、アメリカ、イギリスなど7カ国をバックパッカーしながら回りました。各地でいろんなことを知るたびに、地域の活動が好きになりました。
-学生の頃からかなり行動的ですね!その活動は就職活動にもつながりましたか?
はい。最初マスコミ全般を就職先として考えて活動していたのですが、いろんな活動に参加することで変化しました。自分のアイデアによってものが売れる広告というものに、興味を持ち始めました。ちょっと考えてまわりを驚かすことが好きな自分にも気づきました。面接では地域が好きということをアピールして、希望の地元広告代理店に就職することができました。
-入社後、最初から現在の企画のお仕事だったのですか?
いいえ。最初はクリエイティブ局に配属され、CMや新聞などの広告制作の仕事をしていましたが、その後いきなり営業の担当になりました。結果を出すことはできましたが、全然面白くない毎日でした。なぜなら、基本的にお金に興味がなく、お金を稼ぐことの意味を理解できなかったのです。「営業をするために入社したのではないのに?」。今思うとおかしな社会人でした。その後、イベント担当、再度クリエイティブ担当を経験し、企画の仕事をするようになりました。今は、企画した仕事を実現するために自らお金集めもしています。4月に開催した名古屋駅から名古屋城までのウォーキングイベント「参勤交代ウォーキング」も、予想以上に費用が必要になりました。「このままでは実現できない!」。何ができるかを考え、3週間地元の企業をまわりました。「この企画が実現できると、商店街にとってこんなメリットがあります。是非ご協力をお願いします」。全て本気で経営者にお願いしました。お願いしては断られることの連続。結果は16社から協賛をいただくことができました。いろいろな担当をすることで、営業という仕事の意味を理解することができました。
-いろんな経験から、確実に成長を実感されていますね!失敗することはなくなりましたか?
ありますよ。いっぱい。最近も「自分勝手すぎる行動」にご指摘をいただきました。頑張ろうと思うあまり、まわりが見えなくなっていました。以前は、ご指摘を素直に受け止められなかったこともありましたが、今は、教えていただけることをありがたいと思って受け止められるようになりました。経験を積むごとに言われなくなることのほうが、恐怖になってきました。
-経営者の悩みのようですね!武将ブームの仕掛け人として、トップに立ち続ける堂原さんならではだなあと思います。では、武将に関わることになった背景について教えていただけますか?
武将が好きな上司と取り組んだ、武将観光の概念をまとめた観光ウエブサイト「武将ふるさと愛知」の仕事がきっかけでした。全国の武将の7割が愛知にゆかりがあると知り、驚きました。いわば“名古屋は侍の街だ!“と。当時、名古屋はぱっとしないといわれていた時代だったのですが、“侍の街”ってなんだかかっこいいし、世界にも通用する。この概念をもっと広めれば、自分の住むこの街をみんなが誇りに思い、もっと好きになるんじゃないか。観光客も増え、全国から、全世界からの見る目が変わる。名古屋を変えられるのでは!と思ったのです。そこからは必死でした。この埋もれた概念を広めなくては!愛知ゆかりの武将について全国の博物館に手紙を出し、部屋いっぱいの資料の中、上司と半年間立てこもってウエブサイトをつくりあげました。外出しないで朝から晩までずっと資料とにらめっこ、このままではノイローゼになるのではと思ったくらい集中しました。上司のおかげで武将のことが好きになり、これを全国に広めたいと思いました。
-映画監督のジョージ・ルーカスにもお手紙を送られたそうですね?
ええ、実際は手紙ではなく、「巻物」に筆で思いを書いて、伝えました。「武将都市・名古屋をアピールするために、名古屋でサムライの映画を撮って欲しい」。つづら箱に様々な武将グッズと一緒に「巻物」を入れて送ったところ、秘書の方を通じてお返事もいただきました。結果はお断りでしたが、応援の言葉もありうれしかったですね。あきらめられないので、今度は「巻物」に署名を集める活動を始めました。毎週末、愛知県内の武将にまつわる観光地に出向き、署名活動をしています。江戸時代の町娘のようなかつらをかぶったり、楽しみながら活動しています。犬山、瀬戸、常滑、鳳来、西尾、岡崎等、武将ゆかりの地はほとんどまわりました。各地域の状況もわかり、仕事にも活かすことができています。愛知県のサムライ映画実現に向けて、今後も頑張ります。
-休日の活動も仕事につながっているのですね。
そうです。「社会や地域を変える仕事がしたい!」という志を同じくする人に出会い、話をすることが好きなので、興味のある人がいると連絡をとって会いに行きます。「裸でも生きる」の著者である山口絵理子さんにも、会いに行きました。著書になる前のブログを読んでバングラディッシュで活動する彼女にあこがれました。すぐに連絡をとったところ、会ってくれました。いろんな相談もしました。新しいことや面白いことをしている人がいると、必ず会いに行きます。いろんな人に会い、お話をきくことは、自分の仕事に大きな影響を与えます。「誰とはたらくか?」を常に意識しています。
-今度は誰に会いたいですか?
誰かは特定できていないのですが、北欧に行って、そこで生活する人に会ってお話を伺いたいと思います。幸福度が世界トップレベルのフィンランドに興味があります。持続可能な社会、子供の世代までつながる活動を知りたいと思いました。女性の社会進出率が高く落ちこぼれをつくらない、順位をつけない、家庭での時間を大切にする。地域の橋をつくる投票では、80%の投票率。自分たちの幸せを考えているフィンランドを、実際に見てみたい。お話を伺いたい。北欧の活動を名古屋でも活かせないかと思います。まねることから、地域の人と一緒に考え、観光できた海外の方と考えていく活動につながるといいなと思います。
-旅行に行く前のイメージング、素敵ですね!
はい。妄想するのが好きなんです。ワクワクします。
-今後の活動について教えていただけますか?
2027年のリニア開通に向け、今後は名古屋駅周辺に多くのビルが建設されと名駅エリアは大きく発展します。名古屋城でも金シャチ横丁や本丸御殿の完成、円頓寺界隈でも新しい観光に向けての仕組みが話しあわれています。それらと融合しながら武将隊が果たせる役割をしっかり担い、観光客を増やす仕組みをつくる一助となりたいです。円頓寺で展開している20種類の新なごやめし「円むす」や「参勤交代ウォーキング」などもうまく活用していきたいですね。
-最後になりますが、堂原さんにとって『はたらく』とは?
『自分の成長する機会を得ること』です。
-行動して機会を創り、人から学び、成長し続ける堂原さん。今回、じっくりお話を伺って、「地域活動に関わることは自然なこと」とコメントされた理由がよくわかりました。興味のある人に出会い、興味のある場所を訪問する中で、ごく自然に地域活動に取り組まれていました。インタビュー後には、フィンランドに行って、いろんなことを吸収されたそうです。また、じっくりお話を伺いたいと思います。武将隊の活動を通して、地域にほこりを持つ人を増やし、地域を楽しくする堂原さんの活動に今後も注目していきます。-
取材日:2014年5月14日/取材者:小林優太、大野嵩明、若尾和義 /写真:堂原さんご本人より借用、小林優太 /記事:若尾和義 /校正:小林優太、大野嵩明