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2018-07-16

禅と大ナゴヤ大学の活動〜【はたらく推薦図書 第36回】~


禅とジブリ

大ナゴヤ大学のコンセプトブックに、「見えないけど、そこにある。」、「あなたがいれば、カタチが変わる。」という言葉が書かれています。「街」と「大学」の概念をくっつけたのが、大ナゴヤ大学でもあります。

「街とは」、「大学とは」・・・。どちらの概念も一言で説明できる程の知識がないのに、それを掛け合わせた概念を、今の知識の量で一言で説明できるとは思えない。しかもどちらも、時代とともに変化していく。

このように大ナゴヤ大学の活動は、概念的すぎてわかりにくいのです。

NPO法人という法人格で運営していますが、明確な課題を設定して、それを解決するというスタイルではなく、面白そうで人が集まり、集まったメンバーの中から課題や価値が生まれて、それを実現していく(実現しない場合もあります)スタイルを大切にしています。

わかりにくいからこそ、面白いことが起こる可能性があると信じて活動しています。

一方的で、このはたらく課のように、はたらくをテーマに活動する人の他にも、まちの魅力をテーマに活動する人、クリエイティブをテーマに活動する人、食をテーマに活動する人など、周りにある活動は、テーマ型でどれもわかりやすいです。

このようにある一部分を切り取るとわかりやすい。しかし全体として、大ナゴヤ大学を説明しようとするとわかりにくい。自分でもわからないことを、第三者に説明するにはどうしたらいいのかをずっと考えていました。

先日、「禅とジブリ“」という本と出会いました。この本は、スタジオジブリ・プロデューサー鈴木敏夫さんが、三人の禅僧と語り、その内容がまとめられています。

「”今”のことをちゃんと」、「”道楽”でいこう」、「誰しも一度は心が折れる」、「幸せに必要なこと」、「プロとアマチュア」など、どれも禅問答的で、自分の中で明確にこうですとは言えないモヤモヤする感覚で、自分の中に問いが浮かんできます。その中で、「わからない」ことについても書かれていました。

禅で、梁(りょう)の武帝(ぶてい)が「お前は何者だ」と達磨さんに訊くと、達磨さんは「不識(ふしき)(わからない)」と答える、という問答があるんです。『もののけ姫』を観ていて、ハッとしたんですね。(中略)
モロが主人公の少年アシタカに「お前にサンを救えるか」と訊く場面がありますよね。ヒロインを救えるか、と。アシタカは「わからぬ」と答えるんです。このセリフに禅問答のような深いものを感じたのです。

主人公なら「救う」と言ってほしいじゃないですか。でも「わからぬ」と、その後に続けて、アシタカは「だが、ともに生きることはできる」と言う。これは、達磨さんに言った「不識」じゃないか、と。

私たちは、明日の天気さえもわからないような存在です。けれども幸せを祈って生きていくことはできる、というのが仏教の根底にある思想なんです。「不識」、つまりわからないことこそが人生なんです。むしろわかってしまったら面白くない。

先程も書いた通り、大ナゴヤ大学という活動は「あなたがいれば、カタチが変わる。」。つまり、面白そうで人が集まり、集まったメンバーの中から課題や価値が生まれることを大事にしているので、常に予測不可能な変化がそこにはあります。

何が起こるかわからない、どうなっていくのかわからないことが、大ナゴヤ大学の活動の面白さなのかもしれません。

分かりやすく目的を明確にして取り組んでいくことと、なんかよくわからないけど、そこから何か生まれてくる予測不可能なこと。どちらも必要で、大ナゴヤ大学は、「縁起」というアプローチをしているのかもしれないと。

仏教は物事が起こるメカニズムを「因果」と「縁起」で考えます。「因果」とは「原因」と「結果」という関係で見る考え方。
(中略)
一方「縁起」は、あらゆる物事の網目のような関係性で、思いもよらないことが生起すると考える。この世の複雑さを説明するのに、縁起以上の考え方はないと思うんです。

大ナゴヤ大学の活動のことを考えるヒントにもなりましたが、この時代を生きていくためのヒントが詰まった本です。今の社会の中で、生きていくことにモヤモヤしている方におすすめの一冊です。

タイトル:禅とジブリ

著書:鈴木敏夫
出版社:淡交社