好きなことを仕事にする~第20回 はたらくインタビュー【靴磨き職人 佐藤我久氏】~
第20回はたらくインタビューは、靴磨き職人佐藤 我久さんです。2014年9月に名古屋駅の路上で靴を磨いている姿を見て、話しかけたのが出会ったきっかけです。当時は大学生でした。それから2年以上経ち、大学を卒業し、クラウドファンディングでお金を集め、今は自分のお店を経営しています。好きなことを仕事にすることは、どういうことなのか。そんなことを聞きたくなり、インタビューをさせていただくことになりました。
1993年生まれ。北海道出身日本福祉大学四年。大好きな靴を通おし目の前で喜んで貰いたいと、2013年12月名古屋駅前で路上靴磨きを始める。名古屋駅を拠点に全国の駅前で約2年間路上靴磨きを行い靴磨きを楽しんで貰うカウンタースタイル靴磨き専門店をOPEN。夢は世界一愛される靴磨き職人。
≪GAKU PLUS
靴磨きとの出会い
―靴磨きとは、どのように出会ったのですか?
小学校から高校まで野球部でしたが足を故障しがちで、どうしたら皆と同じように練習できるようになるか試行錯誤する中で、いろんなスパイクを試しました。ある時、いまのスパイクを履きやすくしてみようと、下駄箱にあった親父の靴磨きセットを借りて磨いてみたらすごく綺麗になり、衝撃を受けました。
それから毎日スパイクを練習後に磨いていたら、先輩や友人からも「ジュースをおごるから磨いてよ!」という感じで、靴磨きをお願いされるようになりました。仕上げて返すと「なんでこんなに綺麗になるの!」とすごく感動してくれました。
高校3年生の最後の夏は、怪我をしてベンチには入れなかったのですが、同級生15名から公式戦で履くスパイクを選んでして欲しいと頼まれました。ボジションごとに好きなメーカーを聞いて、足型を測らせてもらいスパイクを決め、想いを込めて磨きました。
試合当日、アルプススタンドにいたので複雑な気持ちもありましたが、3年間一緒に野球をやってきた仲間が、試合前の挨拶で整列したところから各ポジションに散らばっていった光景を見たとき、球場でうちのチームの足下が一番輝いていて気持ちいいなと感じました。
靴を磨いて目の前で喜んでくれた仲間達の姿や足下が輝いている光景を見た時の感動がずっと忘れられません。
―その後、どのように靴磨きを路上ではじめたのですか?
大学入学後は、あの時の感動が忘れられず、野球は辞めていたのでスパイクではありませんが靴に関わっていたいと、靴屋さんでアルバイトをはじめました。そこの店長さんからたくさん話を聞くうちに、靴の奥深い魅力に気づきました。
世界中の靴を見たいと思ったとき靴屋さんでは、お店で取り扱っている靴しか見ることができず情報が全然足りませんでした。世界中の靴に出会えて、高校時代のように目の前で喜んでもらえることをしたいと思い、毎日「靴 職業」で検索をかけて靴に関わる職業を探していました。
出てくる職業は、「靴職人」「靴修理職人」「靴の販売」など、お店の靴など特定の靴しかおすすめできないような内容がほとんど。目の前でお客さんと話す時間も少なく、ダイレクトに喜んでもらうことができない。絶対見つけてやろうと1年半探し続け、「靴磨き 職業」と検索したとき、靴磨き職人がヒットしました。
業界の頂点にいる方で僕が憧れている靴磨き職人“長谷川裕也さん”の記事を見つけ、そこに20歳で路上靴磨きをはじめたと書いてありました。この記事を読んだのは、19歳の終わり頃。20歳になった瞬間に路上で靴磨きをはじめたら、いつかこの方を超えられるんじゃないかと思いました。
すぐに路上に靴磨き職人さんがいるか見に行きましたが、1人もいませんでした。ただ、まわり見渡すと足下が汚れているビジネスマンの方が何百人と歩いている。この方達一人ずつ磨いてくことで、自分のやりたいことができるような気がしました。
ダイソーで椅子を買って、段ボールもらい、そこに「靴磨き。お代はお気持ちで。」と書いて、黒と無色のクリームを買って、路上に飛び出しました。
―経験がない中で、いきなりお客さんの靴を磨くことに不安はなかった?
不安でした。まず、やることだけでも宣言しようとツイッターに「今日から路上で靴磨きをします!」と投稿。そしたら、リツイートが50ぐらいになり、もう後戻りできないと覚悟を決め、金山駅南口の路上に道具を持って行きました。
でも、内心は怖くて・・・。技術も持っていなければ、お客さんと何を話したらいいかわからない。お代をもらうわけじゃありませんでしたが、靴の仕上がりに文句を言われたらどうしようとか不安が込み上げてきて、路上に行って看板を掲げるまでに、1時間ぐらいかかりました。
ふとスマホを見たら、ツイッターの投稿を見てくれた方々から「寒いけど頑張ってください」「仕事終わったら行きますね」など、たくさんのコメントが入っていました。そのコメントを見た瞬間に「やらないと!」と思い、看板を掲げることができました。
10分ぐらいで、最初のお客さんが来てくれました。たまたま通りかかった仕事帰りのビジネスマンの方。一生懸命磨かせてもらったのですが、うそみたいに靴が光りませんでした。お代はお気持ち、技術見て値段を決めてくださいということだったので、温かいもの飲んでと120円くださいました。120円ももらえる磨きをしていないと思い、もどかしく申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
その方が駅の改札に向かう途中、磨いた靴を見ながら微笑んで「ありがとう」と何回もお辞儀をしてくださいました。今はまだ技術も自信もないけれど、一人ずつ足下を輝かせていったら「目の前でお客さんが喜んでくれる姿や足下が輝いている光景」が見えると、そのとき感じました。
靴磨きを仕事にする
―靴磨きを職業にして食べていこうと決めたのは、いつごろですか?
たくさんのお客さんに出会っていく中で、本当に靴磨きがよい仕事だと思ったことと、常連さんも増えてきたことから自然の流れの中でこの職業で食べていこうと、大学2年生の成人式の前ぐらいの時期に決めました。
成人式に出席するため北海道の帯広が地元なので千歳空港に降り立って、親父が車で迎えにきてくれました。帯広に向かう途中の車内で親父に、大学を卒業すれば何をやってもいいと言われていたので絶対に卒業すると伝えた上で、靴磨き職人として食べていく意志を伝えたました。その瞬間「靴磨きで食べていけるのか!?」と、怒るより心配そうな表情で言われました。
そのときに、僕が思っている靴磨きという職業と世間一般に思われているイメージにすごく差があると感じました。それから、そのイメージを変えていくことも必要だと考えるようになりました。
―なぜ、路上で靴を磨くスタイルから店舗で磨くスタイルに変えたのですか?
真冬は寒さで手が動かなくなり、足の感覚もなくなってきます。お客さんも少ないです。でも、2年目に入ったとき、わざわざ真夏や氷点下の日にめがけてくるお客さんが増えました。
お客さんに聞いてみたら「いつ行ってもいることはわかっているけど、寒い中必ず路上いるでしょ。そういう我久くんを応援したくて。」と、理由を教えていただきました。
寒い日にわざわざ並んでくださる、他のお客さんの磨きが終わったタイミングにコーヒを差し入れてくださる、磨いている最中に雨が降ってきたときに一緒に道具を片付けてくださる方々に、ずっと応援してもらいました。
路上で商売をするには道路使用許可証が必要で、なかなか許可が取れないようになっているため、ゲリラでやるしかないんです。お客さんが並んでいるときに警察官の方がきて、営業を辞めてくださいと言われてしまうと、暑い日や寒い日に並んでくれたお客さんに申し訳ない。どうしようか迷いましたが応援してくれる方々のことを考えると、路上を僕のステージにしてはいけないと思い2年間で卒業することに決めました。
仕事に対する考え方
―想いをカタチにしていくうえで、意識していることはありますか?
タイムリミットを決めることです。路上は2年で卒業し、大学4年生の12月までに次のステージにいく。逆算すると秋には何か新しいことをはじめないといけないので、そのタイミングでお店をオープンすることにしました。夢は日付を決めないとかなわない。
また、そのとき限りではなく、思い描いている事を絵や文字にすることと、それを言い続けるも大事だと思っています。絵を書くのが好きなので、今でもやりたいことをノートに描いています。
―どんな靴磨き職人を目指しているのですか?
世界一愛されるファンの一番多い靴磨き職人になりたいです。お店をオープンするまえに、全国の靴磨き専門店をまわりました。そのとき、お店で過ごす30分という時間は同じでも、靴を綺麗に磨いてもらうだけの専門店と会話しながら楽しい時間を過ごせた専門店の2種類あることに気づきました。僕は後者の方がいいなと思い、下手でもいいからおしゃべりできる専門店を目指すことにしました。
お代をいただく上で靴をきれいに磨くことは当たり前のことで、それ以上に何かプラスになることを一個でもいいので靴を磨く時間の中でお客さんに届けたいです。
技術はあることにこしたことはありませんが、技術があるから人気になれるわけではないと思います。こういう話をすると職人として技術はどうなんだと思われるのはいやですが、靴磨きの世界で勝負していくうえで誰にも負けないと自信があるは、お客さんに楽しい時間を過ごしてもらうこと。そこは自信を持ってのばしていきたいです。
―自分の良さや強みは、どのように気づいたのですか?
路上での靴磨きは初めての方ばかり。歩いていたら突然この靴磨かせてもらえませんかと話かけられて靴を磨かれるのは、最初誰だって怖いと思います。
それでも、靴を磨いた後に感動して涙を流してくれた方、わざわざ1年後とか2年後に新幹線や飛行機に乗って会いにきてくれる方もいました。そういうお客さんをみていると、僕に靴を綺麗にして欲しくて来ているわけではないと感じました。
ただ、お店を持とうと考えたとき、クラウドファンディングの存在を知らなかった頃は、もっと数をこなして稼がないとと考えたこともありました。そうなると1人のお客さんにかける時間も少なくなるし、対応も変わってきますよね。
そういうときに、常連さんやお世話になっている方が「次回もこの金額でこの仕上がりだともう来ないよ」、「考え方が変わったね」と叱ってくれました。その度に「あっ!」と気づかされて・・・。
怒ると叱るは違うと思うのですが、僕が違う方向に行きそうになったときに、叱ってくれたお客さんが何人もいました。言いたくないことを伝えれば、僕も嫌な気持ちになるかもしれない。そんな中で言ってくれた方が何人もいたので、それが一番ありがたかったです。
上司も師匠もいないので、何か言ってくれる方がいない。だから、お客さんが師匠だと思っています。叱ってくれる人は本当に一握りなので、そういう方をこれからも大切にしていきたいです。
―技術は独学ですか?
基本的には独学です。お世話になった専門店は1つありますが、お店にいる時はそこの磨きをして、路上にいる時は、自分の磨きをしていました。弟子入りして自分の意見が言えないと、そこのお店に染まってしまいます。
お店は2人でやっていますが、磨きで対立することもあります。これまでに何人も雇って欲しいという方が来てくれたのですが、僕がこれと言ったら絶対にそれをやりますという方しか来てくれませんでした。
彼女は必ず「私はこう思います」と話してくれて、そこで僕もこれは違うなと気づけるのでありがたい存在です。
これからのこと
―今後の目標を教えてください。
路上に飛び出してから3年が経過したので、新しいステージに行きます。今のスタイルと新しいスタイルを融合させたようなステージで靴を磨きたいです。
また、靴磨き職人になりたいという方が日本中にたくさんいるのですが、教えてくれるところがほとんどない状況。靴磨き職人をあこがれの職業にしたいので、先生になろうと思っています。小学校や中学校にも広める活動を積極的にやっていきたいです。
―最後に、佐藤さんにとって“はたらく”とは?
“はたらく”という感覚を持っていなくて、とにかくやりたいことをやり続けてきたら職業になっていました。一言でいえるとかっこいいのですが・・・。一言では表現できないことなのかなと思います。
まだ若造なので、年上の方を大人という言い方をしてしまうのですが、皆さん口を揃えて「好きなことでめしが食えるほど世の中あまくない。」と言われます。
この言葉は大嫌いで、もちろん自分の息子や娘を守る為に言う事はあるかもしれませんが、その言葉のせいで好きなことができなくなるのはもったいない。好きなことを諦めなかった方が食べていけると思っています。
—やりたいことを絵や文字にして具体的に見えるようにしていくことと、期限を決めることが、想いをカタチにしていく上で大事だということが印象に残りました。これは、自分で実践したからこそ出てくる言葉。はたらくことを通じて学び続けることの大事さを再認識することができました。これからの挑戦が楽しみです。—
取材日:2016年12月21日/取材:大野嵩明、若尾和義 記事:大野嵩明 写真:若尾和義、大野嵩明 佐藤様より借用