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2022-05-13

「譲れないこと」を大切に、自分なりの「はたらく」をかたちづくる〜第27回 はたらくインタビュー|大ナゴヤ・ユニバーシティー・ネットワーク 小林つぐみ、港まちづくり協議会 倉田果奈〜


第27回はたらくインタビューは、「NPO法人大ナゴヤ・ユニバーシティー・ネットワーク」の小林つぐみさん(写真左)と、「港まちづくり協議会」の倉田果奈さん(写真右)です。おふたりは以前、同じ広告制作会社で働いていたそうです。

年齢も近かったことから現在は友人関係という倉田さんと小林さん。そんなおふたりには、ある共通点があります。それは「ハタラクデアイ」を介して現職にめぐりあったということ。異業種からの転職で時期も半年違いと、何かと重なる点の多いおふたりに、転職のきっかけや転職活動中に意識していたこと、現在のお仕事についてお話しいただきました。

プロフィール
小林つぐみさん
大学卒業後、ミュージアムショップの販売職を経て名古屋の広告制作会社に入社。コピーライターとして、キャッチコピー制作など、広告媒体に使用するライティング業務全般に従事する。2021年9月NPO法人大ナゴヤ・ユニバーシティー・ネットワーク(以下「DNU」)の常勤職員に。同団体が手がける各種企画の運営業務に加え、まち歩き授業「まちシル」の立ち上げに携わる。
 
倉田果奈さん
大学時代、マーケティングのゼミに入ったのをきっかけに広告業界に関心を持つ。名古屋の広告制作会社入社後、ウェブディレクターとして主にウェブサイト制作の進行管理を担当する。2021年4月に港まちづくり協議会(以下「まち協」)に入職。港まちづくり協議会の活動を伝える機関紙「ポットラック新聞(タブロイド・かわら版)」の制作をはじめ、さまざまな活動に取り組む。

モヤモヤしっぱなしの現状を変えたい!

—おふたりはどんなきっかけから転職を決めたのですか?

倉田:仕事とどう向き合っていくかを見つめ直したのが、最初のきっかけですね。大学生の頃は、広告の中でも特にプロモーションに関する仕事に携わりたいっていう思いがあったんです。なので、新卒で広告業界に入れたことはうれしいことでした。ただ、私が任されていたウェブディレクターは、ウェブページの制作が滞りなく進行するように全体を調整する仕事が大きな割合を占めていて、興味のあったプロモーション的な仕事は割合としては少なかったです。

—当初倉田さんがやりたいと思っていた「広告の仕事」とは、ギャップがありますね。

倉田:そうなんです。年数を重ねるごとにそのギャップも大きくなって…。それに、自分が携わった仕事にどんな反応があったのか、詳しく知ることができるのも少なくて…。仕事の手応えを感じる余裕もなく、目の前の仕事に追われる日々を過ごす中で、ちょっとずつ「どうして」「なんで」が心に積もっていく感じがしていました。

—それで、転職を考え始めた、と。

倉田:あと、友人の影響もありました。「転職」の選択肢が脳裏にちらつき始めた頃、友人から「映像の仕事で独立した」「カメラマンになった」といった報告があって。実は私自身、大学時代から写真をやっていて、いつか個人で写真撮影の仕事を受けたり作品制作に取り組んだり、何かしら写真に関する活動に挑戦したいって考えていたんです。新たな一歩を踏み出す友人たちの姿に刺激を受けて、「若いうちならまだ失敗もできるし、私も一度チャレンジしてみたい」と、転職を決めました。

—小林さんは、どんなきっかけから転職を考え始めたのですか?

小林:私も、会社に在籍していた5年ほどの間で、コピーライターとしてポスターやウェブといった、いろいろな媒体の広告制作に携わらせてもらって。良い経験ができたなぁと感じていた一方で、つくったものがエンドユーザーにどう届いているのかがダイレクトに見えてこなかったり、自分自身、長いスパンで携わるような案件をあまり経験できていなくて、制作物を納品したらクライアントとの関係性が終わってしまうことが多かったり…。

—どこか、急き立てられている感じはありますね。

小林:制作に“追われる”ことへの疑問みたいなものは感じていました。その疑問が大きくなるのと比例して、「新しいことに挑戦したい」という気持ちも大きくなっていったように思います。

転職活動を通じて見えてきた「自分らしくはたらくための要素」

—転職活動中に意識していたことはありますか?

倉田:生活基盤を支える「仕事」と写真に関する個人の「活動」、それぞれにしっかり取り組めるかどうかは、転職先探しで特に重視しました。ただ、広告業界系の転職支援サービスを利用しても、なかなか理想的な環境にはめぐりあえず…。例えば、副業OKでも平日5日間はフルタイムで出勤することが前提、というケースも少なくなくて。写真に取り組む時間を確保することを考えると、週5日フルタイムで働くのには抵抗感がありました。

—ただ、ダブルワークという言葉が広まりつつあっても、副業や兼業をOKとする企業自体まだまだ少ないですよね。となると、自分の意思を貫こうとすると、さらに選択肢は限られるわけで。

倉田:そうなんです。でも、やっぱり譲れなくて。理想と現実の折り合いがつかなくて悩んでいたときに、たまたま目にしたのがまち協の求人記事でした。大ナゴヤ大学のツイート経由で「ハタラクデアイ」にたどり着いて、何気なく読んでみたら「すごく良い!」と感じて。
特に印象的だったのが、職員の大西さんのインタビュー部分。大西さんはインタビューで、週4日まち協で働き、残りの1日は「自分のために使える日」と考えてきた、といったことを話していたんです。まさに私がやりたい働き方だ!って思いました。それと、記事全体から「一緒に働きながら『あなた』がやりたいことを考えていこう」って思いが伝わってきて、率直に惹かれたんですよね。記事を読んだのは2月末。応募期間を見たら締め切りは3月頭となっていて、慌てて応募しました(笑)。私の希望もくみ取っていただき、今は週3〜4日まち協で働いて、空いた日に写真の仕事を受けています。

—小林さんは、どのように転職活動していたのですか?

小林さん:私も倉田ちゃんとほぼ一緒で、はじめは広告業界系の転職支援サービスを利用して転職活動をしていました。「コピーライターの経験があるから」と、クリエイティブ系の求人に複数応募して「私はこのままずっと広告をやっていくのか?」という疑問が生まれたんです。もともとコピーライターの仕事に就いたのも、友人の紹介がきっかけ。
「広告とは違う世界に飛び込んでも良いんじゃないか」
「自分の裁量で自由にいろいろやってみたい」
「楽しい、面白いと思えることがしたい」
と、いろいろ思いがわいてきて。せっかく転職するならそれに固執せず、もっと思い切ってみよう!と考え始めた頃、ツイッター経由で「ハタラクデアイ」のDNUの求人記事を目にしました。それで、応募を。

—皆さん結構ツイッター見ていますね(笑)。DNUの業務内容は今まで経験されてきたこととはまったく異なると思いますが、どんなところが応募の決め手になったのですか?

小林:以前から大ナゴヤ大学のことは知っていて、ツイッターもフォローしていて。実は1度、DNUの求人の応募を逃してしまったことがあるんです。まだその時は転職については漠然と考えていた程度だったので。自分が本格的に転職を考え始めたタイミングでDNUの求人記事を目にできたのもあって、「今しかない!」と思いました。
業務内容自体は異なるとは思いましたが、「まちにちらばる“面白い”をシェアする」ってタイトルにピンとくるものがあって。前職で行政関連の仕事を何件か担当していた経験から「まち歩きツアーをつくる新規事業」というのにも、なんだか面白そうだぞと惹かれました。
働く上で大事だと思っているのは、一緒に働く人の人となり。仕事は人と人が力を合わせてやっていくものだから、働く人との相性が合わないと後々苦しくなるだろうな、と思っていて。記事を通じて、面接を受ける前段階から「一緒に働くのはこういう人なのかな」と想像できたのも、安心感につながりました。

新たな挑戦が、これまで気づかなかった「自分」との出会いに

—おふたりとも、「たまたま」今のお仕事にめぐりあったわけですが、入職して初めて気づいたことや驚いたこと、感じたことなどありましたか?

小林:入職してしばらくしてから、募集にあった「まち歩きの新事業」の立ち上げが本格始動して、全体の取りまとめなどを担当することになったのですが、そこで「自分の裁量で自由にいろいろやる」ことの大変さを痛感することになりました…。

—自分がやりたいと思っていたことが、想像以上に大変だったと(笑)。

小林:前職にいた頃も、全体の進行具合などを意識しながら仕事をしていました。でも、プロジェクトの全工程の進捗をとりまとめるのは初めての経験。自らスケジュールを設定して管理するというのはこんなにも難しいのかとびっくりしましたね。前職で進行管理をしていた倉田ちゃんは本当にすごい!

倉田:そんなことないですよ…(笑)。私としては、つぐみさんはちゃんとスケジュール守ってくれる人って印象だったので、大変な思いをしているって聞いてちょっとびっくりです。

小林:多少は意識していたけれど…ねぇ。改めて、自分ってプレーヤーだったんだなって気づいたというか。誰かが全体の流れを管理してくれている状況なら、自分の判断の遅れが次にどう影響するかなんて、考えなくてもやっていけたわけで。思い返すと、前職でも全体像を見ているようで、実は前後関係くらいしか意識しきれていなかったのかもしれない。

—ポジションが変わってはじめて、自覚できることもありますよね。

小林:視野を広く持って全体を回せる人って率直にすごいって思います。あと、フリーランスの人と一緒に仕事をする機会が増えましたね。いろんな人がいて面白いですし、会社内だけとは違う、今まで味わったことのない関係性のもとで仕事に取り組めている感じがします。

—倉田さんは入職してからどんな気づきがありましたか?

倉田:私は入ってすぐに「前職に思考が引っ張られていた」と気づきました。広告の観点から「まちづくり」って言葉を捉えたときに、私は「このまちのことを“外”の人にどう知ってもらうか」を考えるのが大事になると予想していたんですが、実際はそれだけじゃない。今まちに暮らす人たちが、どうしたら喜んでくれるのかを大事にしていることがわかりました。それと同時に、日々の「ちょっとしたコミュニケーション」の意味の大きさを感じましたね。

—それは、港まちに暮らす人とのコミュニケーション?

倉田:そうです。今ではまち協メンバーはまちの皆さんと当たり前のように仲良くしていますけれど、実はとてもすごいことだと思うんです。だって「ご近所さんにあいさつする」こと自体、今では少なくなってきていますよね。私自身、最近ご近所の方に挨拶したことってあったっけ?って思うくらいです。
それこそ、古橋さん(港まちづくり協議会事務局次長)は、10年以上という長い年月をかけて、このまちに暮らす人たちと関係性を築いてきました。まち協とまちの皆さんのやり取りを見ていると、関係性づくりが本当に大切なんだと実感します。

—倉田さんの場合、写真の仕事との両立も新たな挑戦だったわけですが、2つの仕事の両立を通じて実感したことなどありますか?

倉田:正直、きちんと両立できているか聞かれると、ううう〜〜〜ってなってしまいます(笑)。2つのフィールドを持っていることを、自分に対する「言い訳」に使っていることもあって。今の私って本当に頑張りきれているのかな?私って結構自分に甘くない?と感じる瞬間ばかりで、モヤモヤしっぱなしです(笑)。

—こだわって選んだ道でも、モヤモヤは発生するわけですねぇ…。

倉田:でも良い面もあると思っています。たった1つの好きなことに全力を注ぐのも大事ですけれど、根を詰めすぎると反動で嫌いになってしまうかもしれない。まち協と写真があるおかげで、私はガス抜きができているというか、肩の力を抜いてそれぞれ取り組めているんだと思います。なので、個人的な目標としては、自分に対する甘えの部分を減らして、その分できることのキャパを大きくして、両方とも加速させていくことですね。

小林:私も、キャパ、大きくしたい…! 現状、自分のキャパが小さすぎて、まわりにめちゃくちゃ迷惑をかけている自覚があるし。だからこそ、ゆっくりでもいいから、できることを一つ一つ増やしていきたいですね。

暮らしと切っても切り離せないからこそ、「どうありたいか」をきちんと見つめる

—いろいろ課題も感じている現状ではありますが、今後の目標は?

倉田:まずは担当している業務にしっかり対応しつつ、新しい企画の立ち上げなどにも挑戦したいと思っています。担当業務もありますが、明確に線引きされているわけではないですし、まち協が今までやってきたことを踏まえつつ「こういうことをやりたい!」って手を挙げたら「じゃあやろう!」と背中を押してくれる環境だと思います。待ちの姿勢じゃもったいない。動いたぶんだけ得られるものがあると思うので、「動ける自分」になっていきたいですね。
まちづくりって何をもって成功と判断できるか、明確な答えがあるわけではないから、すごく難しくて。もどかしさばかりを感じているんですが、自分の中で「自分に何ができるか、どうしたら良いのか」を噛み砕いていけたらなと思います。

小林:私は、4月にまち歩きの新事業「まちシル」が本格始動したので、まずはこれをしっかり軌道に乗せることが課題だと思っています。
DNUって「まず自分が楽しいと思うことをやる」という考えが根底にあると入職してから特に感じているので、自分自身はどんなことに面白いと感じるのか仕事を通じて観察していけたらいいなあ。今までの人生では行こうと思わなかった場所に足を運べたり、関わることがなかったであろう人たちと出会えたりするのが、DNUで働く面白さでもあると思います。入職して半年と少しですが、確実に自分のフィールドが広がった感覚があるので、もっと育てていけたらと思います。

—転職など、「はたらく」について見直す場面に立つ人に向けて、どんな言葉を贈りたいですか?

小林:現状に満足していなかったり、疑問を持っていたりするなら、変える挑戦に踏み出したら良いと思います。その方法が転職だと思うなら、トライしたって良いのでは。失敗した!と思ったらいつだって再挑戦できますから。

倉田:転職は何回まで、みたいな制限なんてないですからね。もちろん、転職が最善策だとも思いません。ただ、改善策も考えないままに不満ばかりを口にしているだけなのなら、いっそガラッと環境を変えてしまうほうが、幸せなんじゃないかなって思います。現状を改善するためにはどうしたら良いかを考えて、それが結果として転職などの選択につながるのなら、私はその選択をした人を応援したいって思います。

—最後に、おふたりにとって「はたらく」とは?

小林:生活と地続きのもの、なのかな。お風呂に入っているときやごはんを食べているときにも、どこか頭の片隅にいて、ずっと考え続けてしまう。だからこそ、ずっと考えていても楽しいと思えることで働くというのを、自分は大事にしたいですね。

倉田:単にお金を稼ぐ方法ではなくて、人と関わって一緒に取り組むもの、なんだと思います。もともと「全体を取りまとめる」役割が原点としてあるので、「チームの中の自分」の存在意義は常に意識していることのひとつ。一緒に働けて良かったと思ってもらえる自分であること、そんな自分が「自分らしい」と思える状態にあることが、私にとって「はたらく」意義なのかなと思います。

—取材後、倉田さんの案内で港まちを散策しました。最初は「私が案内なんて…!」と謙遜していた倉田さん。でも歩みを進めるごとに「この花壇は…」「あそこの公園は…」「そこの喫茶店は…」と、まちのエピソードが飛び出してきて、倉田さんもれっきとした「港まちを語れるひとり」なのだと感じました。倉田さんの話を受けてグイグイと質問する小林さんもまた、まちにちらばる面白いに対して、感度を高めているような。

ニヤニヤしたり声を上げて笑ったり、時には苦い表情を浮かべたり…。ころころと表情を変えながら、転職を考え始めた頃から現在までを振り返ったおふたり。言葉の端々に、迷いや悩みといった「ゆらぎ」が見え隠れするものの、自分で選んだ「はたらく」の形に、しっかりと向き合っているのだなと感じました。これからふたりがどんな道を歩んでいくのか楽しみです。—

取材日:2022年4月6日/取材・文・撮影:伊藤成美